セールス マーケティング

セルフのうどん屋に置いてある入れ放題のネギ。残り少ないそれを根こそぎ自分のうどんに入れたお兄ちゃんがとった行動とは?

大好きなセルフのうどん屋がある。いつものように、釜あげうどんの大盛りを頼み、入れ放題の生姜と、天かすと、ネギが置いてあるカウンターに行った。

昼どきのピークは少し過ぎた時間ではあったが、まだまだ店内に人はあふれていた。私は商品を受け取り、レジでお金を払ったあと、生姜と天かすとネギが置いてあるカウンターに向かった。私より先に会計をすませていたOL風お嬢さんひとりと、作業員風お兄ちゃんがひとりカウンターにいた。

お姉ちゃんが生姜をつけ汁に入れようとしているその前にネギが入ったカゴがある。ネギが大好きな私は、その残量が気になり首を伸ばして覗き込む。するとスプーン一杯分くらいしか残っていない。駄目だ、これは確実になくなるなと思った瞬間、しょうがをとって前に進んだお姉ちゃんの後を追うようにお兄ちゃんが動いた。そして、ネギの前に行くと、そなえつけのスプーンでネギを根こそぎすくって自分の肉うどんの中に入れた。

ああ、なくなった。残量が減ってきたら店員が補充するのが基本で、普段はこまめに補充をしてくださるのだが、忙しいと、こういうことがある。まあ、別に、すみませんネギがありませんと言えば済むことなので、たいした問題でもないのだが、なんとなく疲れていて、それもめんどくさいなあと思いもあり、とはいえ、ネギなしで釜あげうどんを食べるなどありえないので、仕方なく、ネギありませんよと店員に向かって言おうとした瞬間、

「すんませ〜ん、ネギなくなりましたよ」

という声が、前から聞こえてきた。まさに、私が今から言おうと思っていたセリフ、それが前から聞こえてきたので、驚いた。そう、なんと、そのお兄ちゃんの声だったのだ。彼はそういうと、さっさと自分のトレイをもち、席に向かったのだ。
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おいおい、なんだ、そんなことをできる人がいるのか。自分の分は、もう必要ないのに、後ろの人のことを気づかって、ネギを補充してあげてくれと、言ってくれるなんて。

私はそんなことはしたことがなかった。なにせ、後ろから、俺の分だけでも残れ、と願ってたような人間だから。あとの人のことなんて、気にしたことがなかった。自分の小ささがとてつもなく恥ずかしくなった。俺って、なんか最悪だなあと思った。

代わりにネギを請求してくれたお兄ちゃんは、とっとと席につきうどんを口に運んでいる。おれが、言っといてやったぞなんて感じはみじんもない。こういうのが思いやりなのだ。このお兄ちゃんの体には、潜在的に優しさが備わっているのだ。ネギがなくなったから、なくなったと声をかける。別に、普通じゃねえ、という声が背中から聞こえてきそうだった。

これは、私が、2年前くらいに体験した、うどん屋事件だが、それ以来、わたしも、そういうシーンでは、そうやることにしようと決めた。そのあたりから、配慮とか、気づかいとか、思いやりなんかについて、考察を始めたんではないかと記憶している。

今こうして、マーケティングとかセールスの本質とかを伝えるにあたって、配慮とか、おもいやりについて考えなおしていると、昔のそういう話を思いだす。

思いやりって、そういうことなんだなあとあらためて思う。私には、そういう思いやりな気持ちが、全然足りなかった。今はそれを大いに反省し、自分のできる範囲で、おもいやりをもって接していこうと思っている。

おもいやりって実はみにつけると、それはとんでもない武器で、それを根本にもってしまうと、その上に積み重ねる技術は、本当にそれは技術だなあと感じる。技術がいいにこしたことはないが、やはりベースにこの思いやりを持つという方が、大事なように思う。

まだまだ、自分自身も全然だが、これからもこの思いやりについて探求続け、そういう人にであったら、全て吸収するつもりで、まずは、まねからはじめてみたい。

ネギがなくなったら、ネギがもうありませんよと言うだけなのだが、それが結構たいへんだったりする。勇気を持ってやっていけたらなあと思う。

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