セールス マーケティング

名選手、名監督にあらず。あなたや商品が凄いことと、それを教える伝えるということはまったく違う。それを知らずに気づかずに去っていく起業家仲間が多いのはとても悲しい。みにつけるべきは何なのか?

それが凄いことと、それを伝えることや教えることはまったく違うということを知らない人が多すぎる。私の周りにいる優秀な起業家が志を半ばにして去っていく。そういうのをみるととても悲しく思う。

凄い資格があり、もっている商品や素養は抜群なのに、それを伝えたりする方法を知らないためにそれを失念してしまっている人が異常に多い。

おおお、きたきたきた、いい感じだぞ、待ってたのはその流れだ、そのまま突き進むんだって思って見ていると、急にまったく畑違いの、どっかから聞いてきた知識をいれ、ひどい場合は完全に商売を鞍替えしてしまったりしている。非常にもったいないが、これは結構頻繁に起きている。

原因は商売がそういうものだと言うことを知らないこと。売れ始めるまでに非常に時間がかかる、認知されるまでにとてもとても時間がかかるのだ。認知とか売り上げって1次関数みたいに右上に直線的にあがっていくものではない。ずーっと低空飛行でなんとか落ちない感じで飛んでいて、最後に急上昇するみたいな売れ方や認知され方のほうが多いのだ。みな、もうちょっとというところで辞めてしまう。
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(写真は私がマーケティングとセールスの部門でコンサルティングをかけている商品です。お絵描きできるスニーカー。絵は私が書きました。海と空とサーファーと太陽です)
しかたない部分もある。孤独だからね、商売は。自分のそれが正しいかどうかなんて結果がでるまでわからないし、もしかしたら間違っている可能性もあるからね(そちらの可能性のほうが高いが)だから、いてもたってもいられなくなり、売れそうなとかよさそうな感じに飛びついてしまう。

そういう人は、客観的に商売をみてくれる信頼の置ける友達や他の経営者やコンサルタントから意見をもらうといい。客観的に見ているからこそ見えるってことがあるので、案外いい意見がもらえたりするからね。

このアディクトマーケティングは、そういう迷える経営者に、そう、それであってるから、それでいきましょうとか、いやいや、これは駄目だから辞めましょう的なアドバイスもしているが、この事業自体が始まったばかりで、まだまだ低空飛行なので、どうなるかわからないけどね。

でも、そういうものだと私は知っているから、もうしばらくこの事業は続けていこうと思っている。

さて、本題にはいろう

名選手名監督にあらず

聞き慣れた言葉なので耳にしたことがある人も多いと思うが、選手として凄かった人が、必ずしも人を教えたり指導したりするのが上手いかというとそうではないということね。プレーヤーとして優秀な営業マンが、管理職になったとたん、まったく機能しないというケースは結構頻繁にみられる。そもそも、そういう人事のやりかたが間違っているのだけどね。

この言葉がおもしろいのは、うまい人とかすごい人は、持って生まれたセンスが機能して上手く行っているケースが多い。天才的に下半身の使い方が上手いとか、バランス感覚が天下一品とか。その選手は、それが凄かったからトップにいけた。ところが、本人も、周りも、それが凄かったから、トップになれたと言うことに気づいていない。

そうなると、指導する時に、そこがスッポリ抜け落ちることとなる。その部分が土台であり基礎であるのに、それを教えずに、上の動き、例えば正しい腕の動かしかたばかり教えても、あくまでもそれを教えている人は、その土台があっての上の動きなので、これは、悲しいかな、腕の動きだけでは、箸にも棒にもかからないものとなってしまうのだ。

私はサーフィンを教えているが、最初は、おまえみたいなレベルが何を偉そうにと随分攻撃をうけた。そんななかでも、私は、いやいやだからやで、下手やったから、上手くできない人がどこで躓いているか見えるんやでと思いながら、続けてきた。私には表面にでている現象が、内面のどういう動きの結果起こっているというのを見るスキルがある。

表面にでる部分が、実際の動きとは逆にでるときがある、それを見る目とあるのだ。もちろん、特定のスポーツに限ってだが。とくにサーフィンとかゴルフとかは、その人の意志までみえる。ああ、この人はこういう風にやりたいから、こんな動きになってしまっているのだなあとか。スピードをだしたいとか、正確に打ちたいとか、綺麗なフォームですねと言われたいとか。

そういう部分まで見えてしまう。余談だが、ゴルフでコンスタントに100を切れない90を切れない80を切れないという人は、わたしに月間30000円のコーチ料を払って、すべてゆだねればいい。まちがいなくあなたをメンタルも含めたすばらしいゴルファーにしてみせるから。今ドラマで話題の『無痛』の為頼先生のように、あなたの細胞の動きまでゴルフではみえるのだから。

ゴルフがでてきたので、それを例にとって話をしてみる。わたしのゴルフのスコアーは年間85位。昨年は10ラウンドもしていない。しかも練習は一切しない、いつもぶっつけ本番だ。そう考えるとこのスコアーは脅威だ。昨年のあるラウンドは、プレーする前の半年間いっさいクラブに触れることなく、半年ぶりにクラブをみて、握って、振って、ラウンドしたのだが、ハーフで39を叩き出した。これはゴルフをやる人は驚かざるをえない脅威のスコアーだ、信じられないと思う。

このスコアーをつくれるのはまちがいなく理論だ。わたしが10年以上かけて開発した独自の理論があり、それが正確で再現性が高いので、それを身につけている私は、それを本番で実施することでまあまあのスイングをしているのだ。

とはいえ、スコアーはしょせん80台中盤。私よりうまい人は星の数ほどいるし、練習をすればもっとスコアーがよくなるだろうから、練習をしなくてもいいよということではない。

だったら70台で回っている人から教わったほうがいいのではないかということではないということを私は言っているのだ。それが上手いというのと、見る目があり教えるのが上手いということは違うということなのだ。

実績に人は左右される。私はセールスも教えているが、その時にかならず22年間現場の第一線でものを売ってきたと書く。ああ、この人は経験が、実績がそれだけあるんだなと思ってもらい信頼をえるためだ。ところが、それが直接的に、セールスを教えるが上手いとはならないということだ。

ここを見誤ってはだめですよと言うこと。名選手、名監督にあらずというのはそういうことなのだ。

相性という部分も含めて、先生はきっちり選ばないといけない。だから私は今日も記事を書く。書いたものを読んでもらうことで、こいつが、どういう考えを持って生きていて、どういう指導をするのだろうと、ある程度予想してもらって、ああ、こいつにならなんとなく教えてもらえそうかな、相性があいそうだなって人にきてもらいたいからだ。

サーフィンもゴルフもその理論をブログで展開しているが、まあ、なにせ理屈っぽい。文字がところ狭しと並び、それを見ただけで、俺ムリ、って人が続発する。だから、実際にお金を払って教わりにきてくださる人は、理論とか、そういう理屈が好きな人が多い。わたしもそういう人のほうが相性がいい。

相性がいいほうが、教えるほうにとっても、教わるほうにとっても都合がいいのだ。まちがいなく良い結果となる。

だとしたら、教えるほうは、あなたが何をどのように教えているか理解し、何を伝えたいかというのを明確にし、そのスキルを身につけていかないといけないよという話なのだが、長くなったので、求められるスキルについては、また書くこととする。

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